第17回谷崎潤一郎研究会を以下の内容で開催します。
[日 時]2013年3月16日(土) 13:00~18:00(開場12:30)
[会 場]大妻女子大学(千代田キャンパス)図書館 5階 会議室
〒102-8357 千代田区三番町12
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[研究発表]*司会: 佐藤淳一/細川光洋
佐藤未央子「谷崎潤一郎「秘密」論―「三友館」表象を中心に」
林恵美子「描写と裏切り─挿絵から読む『痴人の愛』」
姚紅「谷崎潤一郎と中国の伝統演劇」
木龍美代子「谷崎作品と川田順、そして佐佐木信綱―『羮』『痴人の愛』から戦後作品を中心に」
(※発表要旨は次ページに掲載)
[発表要旨]
◆佐藤未央子「谷崎潤一郎「秘密」論―「三友館」表象を中心に」
1910年代、いち早く映画(活動写真)に芸術的可能性を見出した谷崎潤一郎は、映画評論や脚本の執筆に留まらず、小説中にも多様な映画的要素を鏤めた。谷崎と映画の関係については、これまで諸家によってアプローチが積み重ねられ、意義づけられてきた。先行研究が示す通り、谷崎の〈映画体験〉は、その作品分析においてより重視されるべき要素であると言えよう。
明治から大正にかけて、映画は新たな娯楽/芸術として民衆に支持された。人々は映画を観るために足繁く映画館に通い、映画館は活気で満ち溢れた。映画館は、大正期の民衆にとって最も身近で、手の届きやすい非日常的空間、いわば〈祝祭空間〉となり得たのである。谷崎作品における映画館という〈場〉の機能性に関する論は少なく、研究の余地を残している。一方で近年の映画史においては、映画館の上映形態や、観客の受容状況が、しばしば検討されている。その手法を援用し、映画館が谷崎作品にどのように関わりあっているか、分析していきたい。
本発表では、谷崎の作品中に初めて映画が登場する「秘密」(「中央公論」明44・11)を取り上げる。語り手の「私」は、あくどい刺激を求めて浅草の路地裏に身を隠し、退廃的な生活を送っていた。「私」は更なる刺激を得るために女装し、夜の浅草に繰り出すことに快感を覚え始める。しかし浅草の劇場「三友館」で再会したT女に正体を見破られてからは、彼女との恋の駆け引きに没頭していく、という筋である。作中に初めて映画が登場するという点でも、谷崎の作品史において重視されるべき作品であろう。本発表では、「私」とT女とが再会する「三友館」の空間性と、映画鑑賞の身体性、現場性に着目し、それらがいかに作品の主題と連関しているか、考察する予定である。
◆林恵美子「描写と裏切り─挿絵から読む『痴人の愛』」
『痴人の愛』は「谷崎文学の前期」の「集大成的作品」と位置付けられ、既にさまざまな視点から論じられているにも関わらず、初出に付された挿絵がどのような役割を担ったかは考察されていない。本発表では、『痴人の愛』を新聞連載小説として捉え直し、テクストとしての『痴人の愛』について再考を試みたい。
『大阪朝日新聞』は、当時、ライバル紙『大阪毎日新聞』と競合していた。両紙ともに1923年から24年にかけ発行部数が100万部を突破する大メディアへと成長を遂げている。この争いの中で更なる読者を獲得するためには中産階級=新中間層を獲得し、読者層を広げなければならなかった。その時、新聞連載小説『痴人の愛』も一つの商品として新聞社の戦略に乗ることとなる。その中で挿絵は読者の目を惹くものとして大きな役割を果たしていた。
作家と挿絵画家の共同作業によって成り立つ新聞連載小説では、書くこと/描くことの重なりと限界が露呈する。それでは連載開始から中断までの間、挿絵画家田中良はどのような戦略で挿絵を描こうとしていたのだろうか。
連載する時、メディアとそれを読む読者は東京や横浜のモダニズム的な雰囲気を存分に持つ谷崎に対してモダンでハイカラな女性を描くことを期待しただろう。その挿絵にも当然それを具現化すること、具体的にはナオミをどう表象するか、サラリーマンの譲治には読者と同じ階級の表象が期待されている。
挿絵で図像化されたナオミが新聞の主な読者層とされる中産階級の女性とどのような点で重なり、どのような点が異なるのか。また、「性的」に消費されるナオミの身体と中産階級の女性の身体や「道徳」の問題が挿絵の「ナオミ」像を揺さぶっている。それをテクストだけでなく記事や広告と関わらせながら明らかにしたい。
◆姚紅「谷崎潤一郎と中国の伝統演劇」
1918年10月から12月にかけての第一回中国旅行において、谷崎潤一郎は京劇鑑賞に夢中していた。特に北京滞在中、彼は辻聴花、村田孜郎、平田泰吉といった「劇通」の案内を得て、名優の梅蘭芳や尚小雲が演じた芝居を満喫した。この北京における観劇体験は、随筆「支那劇を観る記」(『中央公論』1919年6月号)に記され、西原大輔著『谷崎潤一郎とオリエンタリズム――大正日本の中国幻想』をはじめ、これまでの谷崎研究で多く取り上げられている。だが、谷崎が「支那劇を観る記」で言及している芝居をいつ鑑賞したのか、どこの劇場に足を運んだのかといった問題は、検証される余地がまだ残されている。
一方、1926年1月から2月にかけて、谷崎はふたたび中国を訪れ、上海で若い近代文学者や映画俳優らと積極的に交流を持った。第二回中国旅行の体験は、「上海見聞録」(『文藝春秋』1926年5月号)と「上海交遊記」(『女性』1926年5・6・8月号)に詳細に紹介されているが、伝統演劇に対する言及は見られない。そのため、谷崎が上海で伝統演劇と接点がなかったように思われている。しかし、前述した「劇通」の村田孜郎や「支那劇研究会」の塚本助太郎も「顔つなぎの会」に同席したことから見ると、谷崎が上海で伝統演劇と関わっていたことは確かだろう。谷崎が上海でどのような伝統演劇を鑑賞したのか、伝統演劇の俳優らとどのような交流を行ったのか、まだ解明されていない。
本発表は、先行研究を踏まえながら、北京や上海における谷崎の観劇体験に焦点を当て、北京発行の『順天時報』の演劇広告や、上海発行の『申報』『新聞報』の記事を調査することによって、谷崎の観劇体験の実相を確認し、伝統演劇に対する捉え方を考察したい。さらに、谷崎の観劇体験に深く関わりながらも、従来の研究で十分に論じられてこなかった平田泰吉や塚本助太郎に注目し、近代中国の演劇界で活躍した日本人の実態を明らかにし、伝統演劇を媒介とした、近代日中両国の知識人による文化活動の様相を探ってみたい。
◆木龍美代子「谷崎作品と川田順、そして佐佐木信綱―『羮』『痴人の愛』から戦後作品を中心に」
谷崎作品と川田順との関係について興味を持ち始めたきっかけは『夢の浮橋』だった。昭和22年の昭和天皇との会見メンバーが、ことごとく徳冨蘆花著『不如帰』のモデル群と繋がったことや、『夢の浮橋』完成直前に谷崎に贈られ、読んだと思われる川田順著『葵の女』について、谷崎自身が『当世鹿もどき』で触れていることから、この葵の女性について興味を持ったことも大きかった。
もう一つ、やはり『夢の浮橋』を調べていたときに、細江先生の『谷崎潤一郎―深層のレトリック』を読んでいたところ、谷崎の父にもう一人兄がいたこと、そして、ここで小中村清矩という国学者がいたことを知ったことが、大きな転機となった。小中村清矩の名は、『葵の女』の中で、根岸の別荘によく来た、父の知人の一人として早々に登場する。
『小中村清矩日記』が出版されていることを知り、読み始めたところ、小中村清矩が、三重県から佐佐木信綱の父である佐々木弘綱を東京帝国大学の教員として招聘したのが明治15年だった。川田順が生まれた年である。ここから、川田順の父である川田甕江と小中村清矩、佐々木父子との、学問仲間としての密度の濃い交際が始まった。
日記から伺われる小中村清矩の佐佐木信綱への態度は、最初こそ弘綱の息子として登場するも、その後は一貫して一人の学問仲間に対するものだった。その後、川田順は佐佐木信綱に入門することになるが、それぞれの交際は、それぞれの生涯を通して変わらなかった。
小中村清矩の死後は養子だった小中村義象が離縁になり池辺姓に復姓するが、離縁後はパリに留学し、帰国後東京帝国大学講師になった。終平氏がその著書で清矩と書くべきところを義象と間違えているのはこのあたりが原因しているのかもしれない。
『小中村清矩日記』を読むと、この縁組自体、小中村清矩の実母や義母、そして妻の実家である臼倉家が反対していたことが伺われるのだが、小中村清矩と臼倉家については谷崎作品の背景として大きく影響していると思われる。
谷崎作品には、実に多くの人々がモデルとして加えられているのだが、その一部の人選について、影響力を行使したのが川田順だった。
ただ、それについては注意深く隠していたように見受けられる。そのことが、『幼少時代』から父の長兄を省く理由としてあったのではないだろうか。長兄を登場させると、その岳父である小中村清矩に繋がり、当然川田順の父に繋がるからだ。その結果として、『幼少時代』の中には実は小中村清矩も登場していると思われるのだが、誰だか忘れたというような表現になっている。
谷崎作品に対する川田順の影響については、『羹』のようなほぼ注文小説のようなものや、反対に『春琴抄』のように川田順に対して何か訴えていると思われるものがあるが、『痴人の愛』は、川田順の影響力行使の跡が比較的わかりやすく出ている珍しい作品かもしれない。
この発表では、特に『羹』『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』『夢の浮橋』に対する川田順の影響について考察したいと思う。さらに、時間があれば他の作品、たとえば『捨てられる迄』や『蓼喰う虫』等にも軽く触れてみたいと思う。