2010/12

『立教大学日本文学』第105号

・平山城児「谷崎潤一郎と宝積寺」 

『高知大国文』第41号

・田鎖数馬「谷崎潤一郎と孝子説話」

[要旨]谷崎潤一郎の「不幸な母の話」の材源として、『今昔物語集』「住河辺僧値洪水棄子助母語」が挙げられることを指摘した。その上で、『今昔物語集』は、極限状態の中にあっても、母への孝行を貫徹させた息子の行為を称讃する、典型的な孝子説話であったのに対して、それに基づいて書かれた「不幸な母の話」は、結果として母に背く行為をしてしまったために、息子はその苦痛から自殺することになったという展開に改変されているという点に留意して、谷崎の中に孝の思想に対する圧迫感というものがあったということを論じた。谷崎がこうした圧迫感を覚えるようになった一つのきっかけは、少年期に聞いた修身の授業の影響である。そのことを踏まえて、谷崎が修身の授業に大きな影響を受けたのは何故であったのか、その要因を探った。最後に、こうした谷崎の孝の思想に対する圧迫感というものが、母性思慕の主題の獲得とも密接に関わっているのではないかという見解を述べた。 【田鎖数馬】

『通訳翻訳研究』第10号

・ 尹永順「中国における谷崎文学の翻訳と受容の変遷─作品の選択と評価を踏まえて」

[要旨]中国において谷崎作品の翻訳状況と解釈、評価は社会情勢と文学状況の変化に伴って、変化してきた。1928-1941年の間、租界として急速な発展を遂げた上海は国際的な大都会となり、耽美主義の拠点であった。この時期は『麒麟』や『富美子の足』など耽美主義的特徴のある作品を中心に翻訳され、翻訳者の評価も悪魔主義の独自性と特異性に注目し、中国の現代文壇にまで影響を与えた。改革開放直後の80年代は文芸と政治との関係をめぐる論争や左翼思潮の影響下で、耽美派の作品は容認されず、反戦作家として受け入れられた。さらに、資本主義批判や教育的役割を重んじて、社会的批判意識がある『小さな王国』と、反戦的で思想的に純潔な『細雪』が高く評価され、翻訳者の序文は殆ど当時の文学嗜好に合わせた解釈に書き換えられている。政治的環境がある程度開放的になった1994年以降は翻訳作品の多様化と評価の客観性が特徴的である。作品の分析は芸術観の側面から取り掛かり、耽美派作家としての谷崎が復帰するようになった。具体的な作品は谷崎文学の各要素が備わった『春琴抄』が多く翻訳、評価された。さらに、同一作品でも時代によって解釈と評価の焦点が異なっていることが判明した。【尹永順】

『谷崎潤一郎 型と表現』

谷崎潤一郎 型と表現蓼喰ふ虫」を谷崎文学の転換点として位置づけ、多様性に富んだ谷崎作品の表現構造を分析し、「型」という概念を通して谷崎が古典のなかに見出したものの実質を明らかにする。【出版社の紹介文】
(佐藤淳一著、青簡舎)






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2016年度をもって閉会した谷崎潤一郎研究会の公式HPを引き継いで設置。
谷崎潤一郎(1886-1965)および周辺の文学・文化に関する研究の情報提供を行う。

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