2012/12

『検閲・メディア・文学─江戸から戦後まで』

言論弾圧や禁書は政治権力の歴史とともに古いが、それが高度に組織的になされるようになったのは、印刷術の発達による大量出版とともにです。その徳川時代の歌舞伎・戯作・浮世絵の検閲から始めて、戦前・戦中の国家主義のもとでの強圧的な検閲、そして敗戦後の占領軍による、検閲の痕跡を見せてはならないとする検閲までのさまざまな検閲を取り上げ、いつ、なぜ、どんな法規や制度がつくられ、どんなメディアやジャンルが対象となったか、規制はどのように受け入れられ、抵抗され、記憶され、忘却されてきたかを、ジャンル横断的に通史的に、国内外の学者が論じます。そしてそれを、日本語版と英語版を組み合わせたバイリンガル出版として、世界に発信していきます。【出版社の紹介文】
***
「近世から占領期にいたるまでの多様なメディアやジャンルをとりあげて、日本における検閲の問題を、個別的な事例に即しながら、歴史縦断的かつジャンル横断的に検討しようとするものである」(あとがき)とする本書において、谷崎関連では、「第Ⅱ部 戦前・戦中から占領期・戦後にかけての文学と検閲」に、
アンヌ・バヤール=坂井「事象としての検閲と幻想としての読書─谷崎潤一郎をめぐって」
が収録されている。
(鈴木登美・十重田裕一・堀ひかり・宗像和重編、新曜社、3,900円+税)

『同志社国文学』第77号

・グレゴリー・ケズナジャット「谷崎潤一郎『蓼喰ふ蟲』におけるオリエンタリズム─「日本回帰」を再考して─」 

『高知大国文』第43号

・田鎖数馬「芥川の死と谷崎」

[要旨]芥川は、創作している途中で、自分は何のためにこんなことをしているのかという疑念が萌してくれば、それは、悪魔だと思って追い払うようにと、シエンキウイツチが述べていたということを、谷崎に語ったことがある。それから何年かして芥川は自殺するのであるが、芥川の自殺に強い衝撃を受けた谷崎は、生前の芥川のこの言葉をしばしば回想しながら、こうした言葉の中に芥川を行き詰まらせる要因があるように思うと述べている。そのことを踏まえて、芥川の死後、芥川のこの言葉を受け止めながら、芥川の生前の課題を継承・発展させようとする意識が、谷崎に生まれたのではないかということを論じた。その際、右のシエンキウイツチの言葉の出典が、従来明らかにされてこなかったので、この言葉の出典を調査し、それが、Without dogmaを踏まえたものであった可能性が高いということを指摘した。それに基づきながら、芥川の生前の課題が何であり、谷崎がそれをどう継承・発展させていったのかということを、具体的に明らかにした。【田鎖数馬】
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2016年度をもって閉会した谷崎潤一郎研究会の公式HPを引き継いで設置。
谷崎潤一郎(1886-1965)および周辺の文学・文化に関する研究の情報提供を行う。

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