2014/03

『文化学年報』(同志社大学文化学会)第63号

・真銅正宏「産児調節・避妊・堕胎─谷崎潤一郎「卍」における隠された触感─」
 

『南山大学大学院国際地域文化研究』第9号

・陳妹君「「鮫人」に現れる浅草趣味について」

『文芸研究』(明治大学文学部文学科)第123号

・柳澤幹夫「谷崎潤一郎『秘密』論—〈映画〉的想像力/シネマティカル・トポロジー—」

 

『倉敷市蔵 薄田泣菫宛書簡集 作家篇』

倉敷市蔵「薄田泣菫文庫」より、作家たちの薄田泣菫宛書簡、および泣菫が所有していた書簡を「参考書簡」として、全178通収録されている。
谷崎関連では、大正8年10月27日付、大正10年8月10日(推定)付の書簡、および大正11年3月31日の封筒の3点を収録。(解説:掛野剛史)
(倉敷市編、八木書店、9,800円+税)
***
『暮笛集』『白羊宮』などの近代詩人として著名な薄田泣菫宛の書簡1700通の内、作家から寄せられた、38名の書簡178通を、作家毎の年代順に収録。「大阪毎日新聞」学芸部に勤めていた関係で、作品掲載までの経緯の様々な経緯が数多く記され、近代文学研究に欠かすことが出来ない貴重な文献資料。また、収録書簡から、近代有数の大詩人薄田泣菫の温厚な人柄をうかがい知れる。収録書簡の差出人は以下の通り。
芥川龍之介 有島武郎 生田葵山 泉鏡花 岩野泡鳴 宇野浩二 小川煙村 上司小剣 川上眉山 菊池寛 菊池幽芳 国木田独歩 久米正雄 小杉天外 里見弴 佐野天聲 鈴木三重吉 谷崎潤一郎 田村俊子 田山花袋 近松秋江 徳田秋声 徳富蘆花 豊島与志雄 永井荷風 長田幹彦 中村吉蔵 長与善郎 西村渚山 野上弥生子 広津柳浪 二葉亭四迷 前田晁 水上瀧太郎 武者小路実篤 森鴎外 柳川春葉 吉田絃二郎 【出版社の紹介文】

「関東大震災と文学―芥川龍之介と谷崎潤一郎」の発表を終えて

今回の発表では、関東大震災を取り込んだ芥川と谷崎の作品に着目しながら、その描き方の相違について考えてみた。具体的にいえば、芥川が、関東大震災後の悲惨な現実を直視し、その中にも詩的な光景があるとして、その光景を進んで描き出そうとしたのに対して、谷崎が、地震後の悲惨極まりない現実を殆ど描き出そうとはせず(大地震に襲われて逃げ延びるまでの実際の体験を随筆で書くことはあるけれども)に、むしろ、その現実の対極にある世界を描き出そうとしていた、ということを述べた。その上で、こうした相違には、大枠においてではあるが、「小説の筋」論争の対立と重なるところがあると指摘した。

発表の後、様々なご意見をいただいた。そのうちの二つをここで紹介したい。まず、発表では、芥川が、「大震に際せる感想」の中で、関東大震災後の悲惨な現実に直面しても、「否定精神の奴隷となる勿れ」と言い切っていたにもかかわらず、実際には、そのような強さを持っていなかったのではないかということを述べたのであるが、「或阿呆の一生」の一節を、そう述べるための論拠として使用してしまった。そのことに対する批判があった。「或阿呆の一生」は、敗北者芥川の自己像を強調する作品であるので、論拠として使用するのは必ずしも適切ではないのではないかというご意見である。このご意見は、厳密にいえば、確かにその通りであると思われる。「或阿呆の一生」とは別に、論拠となるような材料を探して、補っていく必要があると感じた。また、谷崎は、エッセーの中で、関東大震災によって自分の故郷が失われたので、悲しく思うと書いているのであるが、その一方で、関東大地震が発生した時、乱脈を極めていた当時の東京が破壊され、本当の近代都市がここから新たに誕生するはずであるので、そのことを嬉しく思うとも書いている。そのため、後者の谷崎の感想に着目するならば、そもそも、谷崎は関東大震災をむしろ歓迎したのであり、関東大震災に大した衝撃を受けなかったのではないか、という指摘をいただいた。この指摘は、換言すれば、谷崎は、関東大震災後の悲惨極まりない現実に呑み込まれないように意識的に目を閉ざしたのではなく、その現実に、初めから他人事として無関心であったのというものである。確かに、その可能性も存在するだろう。今回の発表では、その可能性に言及しなかったので、その点、不十分であったのかも知れない。ただ、谷崎が実際に無関心であったのか否かという点はひとまずおくとしても、谷崎がその悲惨な現実を作品の中にあまり描こうしなかったという点は、やはり留意すべき問題として指摘し得る。関東大震災後に関西に移住するとはいえ、地震発生の後、横浜にいる妻子のもとへ向かうまでの間に、関東大震災後の悲惨な光景を見てきたはずの谷崎が、あるいは、仮にその悲惨な光景を見ていなくとも、関東大震災の深刻な被害を容易に想像し得たはずの谷崎が、その悲惨な現実を殆ど書かず、むしろ、その現実を否定するところで成立するような世界を書こうとしていたという点に、やはり、芥川とは対照的な作家としての姿勢を見ることができるということはいえるのではないかと考えている。

千葉俊二氏の発表でも紹介されていたが、当時の多くの作家たちは、関東大震災はさしたる影響を文壇に及ぼさなかったと言い切っていた。しかしながら、たとえ当の作家に十分に意識されていなくとも、関東大震災が、作家のこれまでの文学的傾向を深化させたり、あるいは、変化させたりということが、実際にはあったのではないだろうか。何にどう影響されたのかということは、その時代に実際に生きる人間には往々にして見えにくいものである。関東大震災が文学に何をもたらしたのかという問題は、関東大震災から90年の時間が経過し、また、東日本大震災を経験した今だからこそ、改めて考えてみる必要があるだろう。今回は、不十分であったけれど、そうした問題意識に基づいて発表させていただいた。

最後に、谷崎潤一郎研究会を高知で開催していただいたことに、心からの感謝を申し上げたい。私にとって大きな刺激になったことはいうまでもないが、それだけではなく、研究会に参加した高知大学の学生の目の色が明らかに変わった。研究会や学会に参加し、多くの人と意見交換することによって初めて分かることがあるということを、頭では理解していたのであるが、今回改めて痛感した。【田鎖数馬】

『同志社国文学』第80号

・佐藤未央子「谷崎潤一郎の映画受容─明治四十四年~大正五年─」

[要旨]本稿は、谷崎の映画テクストをもとに、明治四十四年から大正五年に谷崎が受容した映画の概要と評価を確認し、いかなる要素が作品に抽出されているか分析した。映画の倒錯性、非現実性を好んだ谷崎は、映画タイトルを用いた修辞によって作品世界に同様の性質を付与していた。また谷崎の映画テクストにおいて特徴的な要素である俳優に対するまなざしは、この時期既に萌芽していた。更に、谷崎の映画受容とその記録からは、第一次世界大戦前におけるヨーロッパ映画の隆盛を看取できた。【佐藤未央子】

第18回谷崎潤一郎研究会のお知らせ

第18回谷崎潤一郎研究会を以下の内容で開催します。



[日 時]2014年3月16日(日) 10:00~16:30(開場09:30)



[会 場]高知県立文学館
   〒780-0850 高知市丸ノ内1丁目1-20
   http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~bungaku/

[プログラム]
□午前の部 研究発表 
 
*司会:山口政幸
 大黒華「谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」成立考」
 林茜茜「人工的な楽園─谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』論」

□午後の部 特集「震災と文学─寺田寅彦と谷崎潤一郎─」
 
*司会:細川光洋
 田鎖数馬「関東大震災と文学─菊池寛・芥川龍之介・谷崎潤一郎─」
 千葉俊二「震災と文学」
 鈴木堯士「震災と寺田寅彦」

 (※発表要旨は次ページに掲載)



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『国文白百合』第45号

・彼方のナオミ─谷崎潤一郎「痴人の愛」論─」
 

『大妻国文』第45号

・林恵美子「描写と裏切り─挿絵から読む『痴人の愛』─」
 

『「変態」という文化─近代日本の〈小さな革命〉』

激動する政治経済と華やかなモダン文化に彩られた日本の1920~30年代は、奇妙にも「変態」で満ち溢れた時代でもあった。そこには「変態」を治そうと奮闘する者がいる一方で、我こそは「変態」であると声高に宣言する者もいた。本書は、当時の文学・心理学・映画・マスメディア等の多様な領域を「変態」という切り口で分析。それが日常世界を組み替える〈小さな革命〉を垣間見せるものとして〈消費〉されていたことを明らかにする。【出版社の紹介文】
***
谷崎関連では、「第4章「変態」の「流動」─谷崎潤一郎「鮫人」の逸脱者たち─」において、「鮫人」の分析をもとに、浅草の都市空間の流動性とそこから「逸脱」する者たちの様相が、同時代の「変態心理」への意識とともに解き明かされている。
(竹内瑞穂、ひつじ書房、5,600円+税)
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TANIZAKI Studies Blogs
2016年度をもって閉会した谷崎潤一郎研究会の公式HPを引き継いで設置。
谷崎潤一郎(1886-1965)および周辺の文学・文化に関する研究の情報提供を行う。

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