◆2015年4月4日に行われた第19回谷崎潤一郎研究会での特別インタビューを受けて、当日のゲスト、森田チヱコさんがご寄稿くださいました。
「谷崎潤一郎と祖父水野鋭三郎と父森田勝一の話」
――第19回 谷崎潤一郎研究会でのインタビューを終えて
明治半ばから昭和にかけて祖父水野鋭三郎(1864-1941)は大阪堂島に住んでいた。その頃、偶然にも文豪といわれた作家谷崎潤一郎と松子夫人のロマンスに関わることになった。それは鋭三郎の甥、卜部詮三氏と松子夫人の長姉森田朝子様が結婚されて森田家を継いだことによる。
以来、両家の交流は祖父、父、私と三世代に及び、谷崎夫妻のエピソードが残されている。今も、我が家には谷崎夫妻の書状が残され、その文面から当時の事情が読み取れる。どれも興味深い一級の資料であるが、明治、大正、昭和にわたる大文豪、谷崎に関する記述は素人に容易にできるものではなく、長くそのまま放置していた。
書簡は父勝一が所持していたが、六通が全てであったかは定かでない。つい最近も、岡山県井原市の伯母宅から二通の額入り書状が報告されている。これらは一連のものであり、谷崎が阪神芦屋の「打出下宮塚の家」に松子夫人と結婚前後に居住された時のものである。松子夫人が晩年にこの書簡の存在をご存知になり、大層お気遣いであった。個人の「私信」である書状を不如意に扱えば、関係者に不愉快、迷惑になるので、今日まで極力公開を避けてきた。
その後、関係する近親者の多くが他界され、またこの「谷崎没後五十年記念」の年を契機に、放置すると闇に埋没するであろうこの一級文献を学問的に正しく解明する必要性を再認識したことである。幸いこの度、谷崎文学研究家、早稲田大学千葉教授のご尽力により「新資料 谷崎潤一郎・松子、水野鋭三郎宛ほか書簡六通――森田チヱコさんに聞く 千葉俊二」(『文藝別冊 谷崎潤一郎 没後五十年、文学の奇蹟』河出書房新社、二〇一五年二月)の一記事となった。お陰で流麗で達筆な松子夫人の書状も見事に読み解かれ、不明であった送付年月日もほぼ解明され、文脈の意味も他との照合で明らかになり、文豪谷崎をめぐる当時の諸事情がより鮮明となった。
父勝一が実母の「森田」を継ぎ、私は水野姓でないが、今も私の本籍、墓所も祖父や父と同様であり、親戚内では水野鋭三郎の孫として扱われている。私は昭和十四年生(現七十五歳)にて祖父鋭三郎は私が二歳の昭和十六年に、また祖母なをは昭和十八年に他界したので祖父母の記憶は薄く、祖父と谷崎夫妻のエピソードは両親や伯母の話によっている。本来、鋭三郎は谷崎夫妻の「黒子役」であったので、これらの話はあまり表面出てないことが故人らへの礼儀であるのかもしれない。
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「谷崎潤一郎と祖父水野鋭三郎と父森田勝一の話」
――第19回 谷崎潤一郎研究会でのインタビューを終えて
明治半ばから昭和にかけて祖父水野鋭三郎(1864-1941)は大阪堂島に住んでいた。その頃、偶然にも文豪といわれた作家谷崎潤一郎と松子夫人のロマンスに関わることになった。それは鋭三郎の甥、卜部詮三氏と松子夫人の長姉森田朝子様が結婚されて森田家を継いだことによる。
以来、両家の交流は祖父、父、私と三世代に及び、谷崎夫妻のエピソードが残されている。今も、我が家には谷崎夫妻の書状が残され、その文面から当時の事情が読み取れる。どれも興味深い一級の資料であるが、明治、大正、昭和にわたる大文豪、谷崎に関する記述は素人に容易にできるものではなく、長くそのまま放置していた。
書簡は父勝一が所持していたが、六通が全てであったかは定かでない。つい最近も、岡山県井原市の伯母宅から二通の額入り書状が報告されている。これらは一連のものであり、谷崎が阪神芦屋の「打出下宮塚の家」に松子夫人と結婚前後に居住された時のものである。松子夫人が晩年にこの書簡の存在をご存知になり、大層お気遣いであった。個人の「私信」である書状を不如意に扱えば、関係者に不愉快、迷惑になるので、今日まで極力公開を避けてきた。
その後、関係する近親者の多くが他界され、またこの「谷崎没後五十年記念」の年を契機に、放置すると闇に埋没するであろうこの一級文献を学問的に正しく解明する必要性を再認識したことである。幸いこの度、谷崎文学研究家、早稲田大学千葉教授のご尽力により「新資料 谷崎潤一郎・松子、水野鋭三郎宛ほか書簡六通――森田チヱコさんに聞く 千葉俊二」(『文藝別冊 谷崎潤一郎 没後五十年、文学の奇蹟』河出書房新社、二〇一五年二月)の一記事となった。お陰で流麗で達筆な松子夫人の書状も見事に読み解かれ、不明であった送付年月日もほぼ解明され、文脈の意味も他との照合で明らかになり、文豪谷崎をめぐる当時の諸事情がより鮮明となった。
父勝一が実母の「森田」を継ぎ、私は水野姓でないが、今も私の本籍、墓所も祖父や父と同様であり、親戚内では水野鋭三郎の孫として扱われている。私は昭和十四年生(現七十五歳)にて祖父鋭三郎は私が二歳の昭和十六年に、また祖母なをは昭和十八年に他界したので祖父母の記憶は薄く、祖父と谷崎夫妻のエピソードは両親や伯母の話によっている。本来、鋭三郎は谷崎夫妻の「黒子役」であったので、これらの話はあまり表面出てないことが故人らへの礼儀であるのかもしれない。
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