・福田博則「谷崎潤一郎の戯曲「顔世」─「春琴抄」の表現方法との関連から─」
[要旨]大正期には積極的に戯曲を発表していた谷崎だが、昭和に入ってからは戯曲「顔世」一篇を発表したのみである。この戯曲「顔世」には、同年に発表された小説「春琴抄」での試みが大きく関わっていると考えられる。谷崎は「春琴抄」で、架空の人物である春琴を、実在する人物であるかのように描こうとしていた。ここに関連して「顔世」では、戯曲という独特の形式を取って、顔世という名の、顔の見えない女性の姿を読者の前に表現しようとしたと考えられる。こうした試みがあって「顔世」は上演に向いた戯曲ではなく、これまで一度も上演はされたことがない。評価の高い作品とはいえな い「顔世」だが、この作品には谷崎の「春琴抄」からの創作上での挑戦というものがうかがえるのである。【福田博則】
[要旨]大正期には積極的に戯曲を発表していた谷崎だが、昭和に入ってからは戯曲「顔世」一篇を発表したのみである。この戯曲「顔世」には、同年に発表された小説「春琴抄」での試みが大きく関わっていると考えられる。谷崎は「春琴抄」で、架空の人物である春琴を、実在する人物であるかのように描こうとしていた。ここに関連して「顔世」では、戯曲という独特の形式を取って、顔世という名の、顔の見えない女性の姿を読者の前に表現しようとしたと考えられる。こうした試みがあって「顔世」は上演に向いた戯曲ではなく、これまで一度も上演はされたことがない。評価の高い作品とはいえな い「顔世」だが、この作品には谷崎の「春琴抄」からの創作上での挑戦というものがうかがえるのである。【福田博則】