今回の発表では初出の「卍」を取り上げ、標準語で書かれた部分について使用されている「女学生言葉」というものについて確認し、初出「卍」の会話文に「関西弁風」の言葉が使用された途端、柿内園子の「語り」から、「女学生 言葉」が一気に排除されたという現象に対して、提示と考察を行った。
「~のよ」、「~のね」といった表現が多用される「女学生言葉」は、「痴人の愛」でもナオミによって使用されており、ここでは河合譲治による「語り」の中に、ナオミの言葉が浮き上がる形になっている。
しかし「卍」では、柿内園子の「女学生言葉」による「語り」の中に、徳光光子の「女学生言葉」による会話文が埋没する形になってしまっている。この不具合に谷崎が気づいた時に、「卍」は、標準語による「語り」の中に、「関西弁風」の言葉による「語り」が混在するという形態に変化したのではないかという可能性について述べさせていただいた。
会場では多くの方にご意見と示唆をいただいた。特に、「関西弁 風」の言葉に変化した後の初出「卍」にも、標準語ではない、「関西弁」の「女学生言葉」が使用されているのではないかというご指摘には多くを教えられた。
その後、初出「卍」の、おそらく「関西弁」による「女学生言葉」とおぼしき部分について、初刊「卍」と比較をしてみたが、ここでは、関西弁風の言葉について、数多くの異同が存在していることが確認できた。
今後の大きな課題として、「関西弁」による「女学生言葉」についての資料を確認し、初出「卍」が「関西弁風」の言葉に変化した後も「女学生言葉」そのものが、継続して
使われたかどうかということを検証して、更に論を深化させていかねばならないと考えた。
大学を離れ、研究という分野とは違う職種についていると、 どうしてもこういった、研究発表をするという機会からは縁遠くなってしまう。今回、拙いながららもこうした機会をいただいたのはたいへんありがたく、谷崎潤一郎研究会にはいくら感謝してもし足りないというのが現在の気持ちである。
このご恩に報いるために、今回の発表をさらに突き詰め、いつかは論文という形にまとめられるように今後も努力していきたい。様々にご意見くださった皆様、そして激励くださった方々、本当にありがとうございました。
【福田博則】